九州エリアの太陽光発電業者を比較ランキング形式でご紹介!【ソーラーパネルの設置依頼におすすめの会社】

日本の太陽光発電の歴史を知ろう!

公開日:2019/11/15  最終更新日:2019/10/25

今やすっかりおなじみとなった太陽光発電ですが、いつ生まれて、どのように発展してきたのかは余り知られていない部分でもあります。

この記事では発明されてから、どのような経緯で普及し、進化を遂げてきたのか、その歴史を見てみることにしましょう。

1839年に原理が登場!実用化されたのは戦後

光電効果の研究で知られるアレクサンドル・エドモン・ベクレルが1939年に発見した原理が、今日の太陽光発電の基礎原理となっています。これは電解質溶液中に2つの電極を用意し、これに光を照射すると電流が生じると言うもの。この光電流を発生される原理は科学的に重要な意味を持っており、現在ではベクレル効果として知られるようになりました。

ちなみにベクレルは現在の蛍光灯の起訴を誕生させたことでも有名です。このような形で誕生した太陽光発電の基礎メカニズムですが、実際に家電などが使えるレベルで発電するまでには、かなりの困難な道のりがありました。

まず、発明から50年ほど後にアメリカで商用太陽光電池の魁とも言えるセレン電池が登場します。これにおいては、変換効率は1%と言う代物でした。これでは消費電力の大きな製品を動かすことはできません。セレン電池はカメラの部品として採用されるなどしましたが利用の幅は広くはないものでした。

発電用機器として実用化に至ったのは1954年のことです。ダリル・シャピンらによって研究が進められていたものが、この年に結実します。当時の発電効率は6%程度と、現在に比べれば高いとは言えないものの、当時としては画期的な発明だったと言えるでしょう。

特に宇宙開発の部門では歴史上で重要な成果を挙げています。当時の宇宙開発は使用容量が限られている、一次電池を用いざるを得ない状況でした。このために多額の費用を掛けて人工衛星を打ち上げてもバッテリーが切れると、そこで寿命が終わりになってしまいます。

1957年に打ち上げられた、世界初の人工衛星で知られるスプートニクは、一次電池仕様のため動作期間は極めて限られており3週間ほどでバッテリーが切れたと言われます。これに対して、後の1958年に打ち上げられたアメリカの人工衛星・ヴァンカードには太陽光電池が搭載されていました。

そのために実働期間は長く、6年間以上も動作を続けたそうです。この動作期間の差は歴然です。長い期間、動作を続けられたヴァンガードは、地球の形が完全な球形ではないことを発見するなど大きな成果を挙げました。現在は通信が途絶えているものの、軌道上にとどまっている人工衛星の中では、最長寿の存在として知られています。

日本で初めて実用化されたのは1955年

海外で実用化されたのが1954年ですから日本で1955年に達成されたと言うのは、驚くべき点かも知れません。当時の日本といえばまだまだ戦後復興を終えるかどうかと言う時代で、つい数年前までは傾斜生産方式で石炭を大量に算出していたような状況です。

まだ経済的に豊かとは言えませんが、当時は3種の神器で知られる白黒テレビや洗濯機、冷蔵庫などが相次いで登場していた時期でもあります。つまり時代としては電気を使った製品が、これから普及していこうと言う潮流の中にありました。

この点から考えると、電力供給の要である発電機器において、太陽光電池への期待度は低いものではなかったのでしょう。現在のNECの前進企業にあたる日本電気が1955年に実用化に成功した他にも、シャープも研究を進めていたようです。

しかし、この段階では太陽光電池は普及には至りませんでした。現在のように電気を売るための設備が整っていませんでしたから、できることと言えば、その場で使うか、電池に貯めると言うことだけです。しかも、まだまだ発展途上にあった技術のために、コストパフォーマンスも悪ければ、メンテナンスに費用もかかるなど問題点は山積していました。

この流れが大きく変わったのはオイルショックと言われています。オイルショックは中東の情勢不安に端を発した、世界規模の石油価格高騰を指すもので、石油に依存していた近代国家に対して強い衝撃を与えたものでした。

その衝撃は凄まじく、原油産出国のアメリカでさえ状況が一変し、日本の省エネ製品が売上を伸ばす一因となったともされています。もちろん日本においてもオイルショックは他人事ではありません。

当時はニクソンショックの影響もまだ残っている中でしたから、立て続けに大きなインフレ要因が重なった結果になります。したがって、世の中は狂乱物価と言われる超インフレ状態に陥り、あえなく経済状況は悪化。数次に続いたオイルショックの影響は大きく、日本の高度経済成長はこれにて潰える結果になってしまいます。

このことを受け、政府は石油に代わる「再生可能エネルギー」の模索に努めるようになったわけです。このための政策では、当初は地熱発電に着目していたのですが、コストパフォーマンスの関係で計画は頓挫してしまいました。そこで、次に白羽の矢が立ったのが太陽光電池と言うわけです。

1990年代から日本でも普及が始まる

住宅用太陽光発電が日本で最初に発売されたのは1993年のことです。とは言っても、この時点ではコストパフォーマンスが悪く、なかなか世間に受け入れられるような状態ではありませんでした。とにかく機材が高価で、一般的な収入の家庭では、気軽に導入できるような代物ではありません。

一日15kWの電力を消費する家庭があったとして、これを当時の機材で賄おうとすると、家計にとって極めて深刻な打撃を与えるほどの価格になってきます。1994年からは補助金制度もあったものの、これを受けても中々、普及には至りませんでした。

とにかく高すぎて「もと」が取れる計算が難しかったのだろうと予想できます。この流れが変わったのが、2009年の売電の仕組みの登場でしょう。それまでは太陽光で発電したとしても、使うか貯めるかの二択を強いられてきました。ここで余った電力を売れるようにしたことで、イニシャルコストの回収がおこないやすくなったわけです。

太陽光電池を導入する方の中には、省エネのためにと言うことで決断した方もあるかも知れませんが、基本的に現在の電力との兼ね合いを考えるケースが多いと思います。すなわち、発電所から電気を買うコストに対して、太陽光電池を導入することで費用的にメリットが見いだせないと、導入に踏み切るのは難しい面があるはずです。

売電の仕組みによって、特に初期費用の回収に貢献してきますから、これによってコスト面の心配が減って、決断しやすくなったのではないでしょうか。同時に技術革新や中国の台頭もあり、設備費用自体が低下したことも、普及が加速した要因としてあげられます。

さらに2011年の東北大震災を受けて、自然エネルギーが脚光を浴びている中での、固定価格買取制度の登場も太陽光電離の普及に拍車を掛けました。この制度では、発足時は有利な価格で電力を売れると言うこともあり、投資家を中心に話題となったものです。

個人も法人も競うようにして土地を購入し、メガソーラー設備を整えていったのは、メディアでも大きな話題となりました。現在ではこの制度は買取価格の切り下げなどで、当初ほどのインパクトはなくなったものの、ソーラーシステムを使った投資の途を切り開いた点は、大きな功績と言えるでしょう。今現在も、太陽光投資には大きな魅力を感じ、参入を検討する方は多くなっています。

 

太陽光発電の歴史について振り返ってきました。電解質溶液に電極を付けただけのシンプルな装置から、セレン電池でカメラに搭載され、後にシリコン系に変わって現在の形にたどり着きます。

今では人工衛星には欠かせなくなった他、住宅向けとしても普及し始めており、これからも発展を続けていくことでしょう。現在は政府の推進するZEHなどの政策もありますし、今後は一般家庭にとっても欠かせなくなるかも知れません。今後とも目を離せない技術と言えるでしょう。




サイト内検索